目次>◆煙草と悪魔--1916

 

煙草と悪魔--芥川龍之介

 煙草(たばこ)は、本来、日本になかつた植物である。

では、何時(いつ)頃、舶載されたかと云ふと、記録によつて、年代が一致しない。

煙草は、悪魔がどこからか持つて来たという伝説がある。

自分は、煙草の渡来に関する伝説を、ここに書いて見る事にした。

・・・

天文十八年、悪魔は、フランシス・ザヴイエルに伴(つ)いている伊留満(いるまん)

の一人に化けて、日本へやつて来た。

しかし、フランシス・ザヴイエルが、日本へ来たばかりで、伝道も盛にならなければ、

切支丹の信者も出来ないので、肝腎(かんじん)の誘惑する相手が、一人もいないと云う事である。

これには、いくら悪魔でも、少からず、当惑した。第一、さしあたり退屈な時間を、

どうして暮していいか、わからない。――

そこで、悪魔は、いろいろ思案した末に、先(まづ)園芸でもやつて、暇をつぶそうと考えた。

悪魔は、早速、鋤(すき)鍬(くは)を借りて来て、路ばたの畠を、根気よく、耕しはじめた。

それから、幾月かたつ中に、悪魔の播いた種は、芽を出し、茎をのばして、その年の夏の末には、

幅の広い緑の葉が、もう残りなく、畑の土を隠してしまつた。

が、その植物の名を知つている者は、一人もない。

その中に、この植物は、茎の先に、簇々(そうそう)として、花をつけた。

すると、或日の事、一人の牛商人(うしあきうど)が、一頭の黄牛(あめうし)をひいて、

その畑の側を通りかかつた。牛商人は、その花があまり、珍しいので、思はず足を止めながら、

笠をぬいで、丁寧にその伊留満へ声をかけた。

――もし、お上人様、その花は何でございます。

――この名だけは、御気の毒ですが、人には教へられません。

これは、私の国の掟(おきて)で、人に話してはならない事になつているのですから。

それより、あなたが、自分で一つ、あててごらんなさい。

三日の間に、あたつたら、この畑にはえているものを、みんな、あなたにあげませう。

――では、あたらなかつたら――あなたの体と魂とを、貰ひますよ。

牛商人は、とうとう、約束の期限の切れる晩に、

ひいて来た黄牛の綱(はづな)を解いて、尻をつよく打ちながら、

例の畑へ勢よく追ひこんでやつたのである。

牛は、打たれた尻の痛さに、跳ね上りながら、柵を破つて、畑をふみ荒らした。

すると、悪魔は、手をふりながら、睡(ね)むさうな声で、こう怒鳴つた。

が、畑の後へかくれて、容子(ようす)を窺(うかが)つていた牛商人の耳へは、

悪魔のこの語(ことば)が、泥烏須(でうす)の声のやうに、響いた。……

――この畜生、何だつて、己の「煙草畑」を荒らすのだ。

牛商人は、首尾よく、煙草と云う名を、云いあてて、悪魔に鼻をあかさせた。

そうして、その畑にはえている煙草を、悉く自分のものにした。と云ふやうな次第である。

が、自分は、昔からこの伝説に、より深い意味がありはしないかと思つている。

何故と云へば、悪魔は、牛商人の肉体と霊魂とを、自分のものにする事は出来なかつたが、

その代(かわり)に、煙草は、洽(あまね)く日本全国に、普及させる事が出来た。

して見ると牛商人の救抜(きゅうばつ)が、一面堕落を伴つているように、悪魔の失敗も、

一面成功を伴つていはしないだろうか。悪魔は、ころんでも、ただは起きない。

誘惑に勝つたと思う時にも、人間は存外、負けている事がありはしないだようか。

それから序(ついで)に、悪魔のなり行きを、簡単に、書いて置かう。

彼は、フランシス上人が、帰つて来ると共に、その土地から、逐払(おいはら)われた。

が、その後も、やはり伊留満のなりをして、方々をさまよつて、歩いたものらしい。

或記録によると、彼は、南蛮寺の建立(こんりふ)前後、京都にも、屡々(しばしば)

出没したさうである。

それから、豊臣徳川両氏の外教禁遏(がいきょうきんあつ)に会つて、始の中こそ、まだ、

姿を現はしていたが、とうとう、しまいには、完(まつた)く日本にいなくなつた。

――記録は、大体ここまでしか、悪魔の消息を語つていない。唯、明治以後、再(ふたたび)、

渡来した彼の動静を知る事が出来ないのは、返へす返へすも、遺憾(いかん)である。……

 
 
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