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捨児--芥川龍之介

「浅草の永住町に、信行寺と云う寺がありますが、

その寺の門前に、男の子が一人捨ててありました。

「当時信行寺の住職は、田村日錚(たむらにっそう)と云う老人でしたが、

「おお、これは可愛い子だ。泣くな。泣くな。今日(きょう)

からおれが養ってやるわ。」と、気軽そうにあやし始めるのです。

「それから和尚はこの捨児に、勇之助(ゆうのすけ)と云う名をつけて、

わが子のように育て始めました。

しかし出来る事なら、生みの親に会わせてやりたいと云うのが、日錚和尚の腹だったのでしょう。

――時々和漢の故事を引いて、親子の恩愛を忘れぬ事が、即ち仏恩をも報ずる所以(ゆえん)だ、

と懇(ねんごろ)に話して聞かせたそうです。

すると明治二十七年の冬、やはり十六日の説教日に、和尚が庫裡(くり)から帰って来ると、

品(ひん)の好(い)い三十四五の女が、しとやかに後(あと)を追って来ました。

震える声を抑えながら、「私(わたし)はこの子の母親でございますが、」と、

思い切ったように云ったそうです。

「ちょうど今から五年以前、女の夫は浅草田原町に米屋の店を開いていましたが、

株に手を出したばっかりに、とうとう家産を蕩尽(とうじん)して、

夜逃げ同様横浜へ落ちて行く事になりました。夫婦は信行寺の門前へ、泣く泣くその赤子を捨てて行きました。

と云う、しばらくは苦労したものの、その内に運が向いて来て

夫婦の間に男の子が生まれ、ともかくも夫婦は久しぶりに、幸福な家庭の生活を送る事だけは出来たのです。

が、そう云う幸運が続いたのも、長い間の事じゃありません。夫はチブスに罹(かか)ったなり、

一週間とは床(とこ)につかず、ころりと死んでしまいました。それだけならばまだ女も、

諦(あきら)めようがあったのでしょうが、せっかく生まれた子供までが、

夫の百(ひゃっ)ヶ日(にち)も明けない内に、突然疫痢(えきり)で歿(な)くなった事です。

女はその当座昼も夜も気違いのように泣き続けました。

「その悲しみが薄らいだ時、まず女の心に浮んだのは、捨てた長男に会う事です。

「もしあの子が達者だったら、どんなに苦しい事があっても、手もとへ引き取って養育したい。」

――そう思うと矢も楯(たて)もたまらないような気がしたのでしょう。

「委細(いさい)を聞き終った日錚和尚は、囲炉裡(いろり)の側にいた勇之助(ゆうのすけ)を招いで、

顔も知らない母親に五年ぶりの対面をさせました。女の言葉が嘘でない事は、自然と和尚にもわかったのでしょう。

女が勇之助を抱き上げて、しばらく泣き声を堪(こら)えていた時には、

豪放濶達(ごうほうかったつ)な和尚の眼にも、

いつか微笑を伴った涙が、睫毛(まつげ)の下に輝いていました。

「その後、勇之助は母親につれられて、横浜の家へ帰りました。

女は夫や子供の死後、情(なさけ)深い運送屋主人夫婦の勧(すす)め通り、達者な針仕事を人に教えて、

つつましいながらも苦しくない生計を立てていたのです。」

客は長い話を終ると、膝(ひざ)の前の茶碗をとり上げた。が、それに唇は当てず、

私(わたし)の顔へ眼をやって、静にこうつけ加えた。

「その捨児が私です。」

しばらく沈黙が続いた後(のち)、私は客に言葉をかけた。

「阿母(おっか)さんは今でも丈夫ですか。」

「いえ、一昨年歿(な)くなりました。――しかし今御話した女は、私の母じゃなかったのです。」

「夫が浅草田原町に米屋を出していたと云う事や、横浜へ行って苦労したと云う事は勿論嘘じゃありません。

が、捨児をしたと云う事は、嘘だった事が後に知れました。ちょうど母が歿(な)くなる前年、

母の家の隣に住んでいた袋物屋(ふくろものや)と、一つ汽車に乗り合せたのです。

それが問わず語りに話した所では、母は当時女の子を生んで、

その子がまた店をしまう前に、死んでしまったとか云う事でした。

それから横浜へ帰って後、早速母に知れないように戸籍謄本をとって見ると、なるほど袋物屋の言葉通り、

田原町にいた時に生まれたのは、女の子に違いありません。しかも生後三月目(みつきめ)に死んでしまっているのです。

母はどう云う量見(りょうけん)か、子でもない私を養うために、捨児の嘘をついたのでした。

そうしてその後二十年あまりは、ほとんど寝食さえ忘れるくらい、私に尽してくれたのでした。

「どう云う量見か、――それは私も今日(こんにち)までには、何度考えて見たかわかりません。

が、事実は知れないまでも、一番もっともらしく思われる理由は、日錚和尚の説教が、

夫や子に遅れた母の心へ異常な感動を与えた事です。母はその説教を聞いている内に、

私の知らない母の役を勤(つと)める気になったのじゃありますまいか。私が寺に拾われている事は、

当時説教を聞きに来ていた参詣人からでも教わったのでしょう。あるいは寺の門番が、話して聞かせたかも知れません。」

客はちょいと口を噤(つぐ)むと、考え深そうな眼をしながら、思い出したように茶を啜(すす)った。

「そうしてあなたが子でないと云う事は、――子でない事を知ったと云う事は、阿母(おっか)さんにも話したのですか。」

 私は尋ねずにはいられなかった。

「いえ、それは話しません。私の方から云い出すのは、余り母に残酷(ざんこく)ですから。

母も死ぬまでその事は一言(いちごん)も私に話しませんでした。やはり話す事は私にも、

残酷だと思っていたのでしょう。実際私の母に対する情(じょう)も、子でない事を知った後(のち)、

一転化を来したのは事実です。」

「と云うのはどう云う意味ですか。」

 私はじっと客の目を見た。

「前よりも一層なつかしく思うようになったのです。その秘密を知って以来、母は捨児の私には、

母以上の人間になりましたから。」

 客はしんみりと返事をした。あたかも彼自身子以上の人間だった事も知らないように。

 
 
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