目次>◆野呂松人形--1916

 

野呂松人形--芥川龍之介

野呂松人形(のろまにんぎょう)を使うから、見に来ないかと云う招待が突然来た。

招待してくれたのは、知らない人である。が、

文面で、その人が、僕の友人Kの知人だと云う事がわかった。

――僕は、ともかくも、招待に応ずる事にした。

野呂松人形と云うものが、どんなものかと云う事は、その日になって、

Kの説明を聞くまでは、僕もよく知らなかった。

その後、世事談(せじだん)を見ると、

のろまは「江戸和泉太夫(いずみだゆう)、

芝居に野呂松勘兵衛(のろまつかんべえ)と云うもの、

頭ひらたく色青黒きいやしげなる人形を使う。これをのろま人形と云う。

野呂松の略語なり」とある。

今では、これを使う人も数えるほどしかないらしい。

当日、僕は車で、その催しがある日暮里(にっぽり)のある人の別荘へ行った。

僕は、大学の制服を着て行った。が、

ここへ来ている連中の中には、一人も洋服を着ているものがない。

驚いた事には、僕の知っている英吉利人(イギリスじん)さえ、

紋附(もんつき)にセルの袴で、扇(おうぎ)を前に控えている。

僕は、座につく時に、いささか、etranger の感があった。

Kは、いろいろ、野呂松人形の話をした。

自分は、ぼんやりKの説明を聞いていた。

舞台と云うのは、高さ三尺ばかり、

幅二間ばかりの金箔(きんぱく)を押した歩衝(ついたて)である。

Kの説によると、これを「手摺(てす)り」と称するので、

いつでも取壊せるように出来ていると云う。

――僕は、この簡素な舞台を見て非常にいい心もちがした。

生憎(あいにく)、その内に、僕は小用(こよう)に行きたくなった。

――厠(かわや)から帰って見ると、もう電燈がついている。

いよいよ、狂言が始まったのであろう。

人形の出来は、はなはだ、簡単である。第一、着附の下に、足と云うものがない。

口が開(あ)いたり、目が動いたりする後世の人形に比べれば、格段な相違である。

手の指を動かす事はあるが、それも滅多(めった)にやらない。

するのは、ただ身ぶりである。体を前後にまげたり、

手を左右に動かしたりする――それよりほかには、何もしない。

僕は、人形に対して、再び、etranger の感を深くした。

アナトオル・フランスの書いたものに、こう云う一節がある、

――時代と場所との制限を離れた美は、どこにもない。

あらゆる芸術の作品は、その製作の場所と時代とを知って、

始めて、正当に愛し、かつ、理解し得られるのである。……

僕は、図(はか)らず、この一節を思い出した。

僕たちの書いている小説も、いつかこの野呂松人形のようになる時が来はしないだろうか。

僕たちは、時代と場所との制限をうけない美があると信じたがっている。

僕たちのためにも、僕たちの尊敬する芸術家のためにも、

そう信じて疑いたくないと思っている。

しかし、それが、果して、そうありたいばかりでなく、そうある事であろうか。……

野呂松人形は、そうある事を否定する如く、

金の歩衝(ついたて)の上で、動かしているのである。

僕は、次の狂言を待つ間を、Kとも話さずに、ぼんやり、

独り「朝日」をのんで(たばこを吸って)すごした。

 
 
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